浅田次郎の短編集を読んだ。
私が、私の情緒は外に伝わるのだろうかとずっと考えていたことを、浅田次郎は文学に昇華しているような気がした。
私が選り好む情感がそこにあったような気がした。
少し気味悪いほど、私みたいだと思ったのだ。
共感がベースにある。
私の性格や性質は、私よりもあなたを優先してしまう。疲れていたり追われていたりすればする程それは見境がなく、私を消費するものへと変化させる。
客観的に見るより主観的に見る方が難しいのでは、と旧友が言っていた。そうだ。ずっと自分でいるのは本当に難しい。
大事にしたいのは私であり、私を通して見えるあなただ。
鬱々として靄がかかる心を、私が好きな情感で客観で描いてくれていた月下の恋人だった。
そもそも、月に惹かれたのだ。私は月の人だから。満月でも半月でも何でもいいしどうだっていい。私もあなたも月光に照らされている。
夜の光のなかは、普段よりも息がし易くないだろうか。月と自分だけではないだろうか。
俗っぽく、私は「女」っぽいのだろうと思う。赦さず、怒り、変えようとしている人は私みたいに中途半端にはならないのだろうな。
私はこの中途半端さを愛しているし、受け止めたい。
敬愛する人を、許したい。私として、私は許してあげてほしい。ただ、方法がわからない。私は何に怒っていて、傷ついていて、許せないのだろうか。私は何も変わっていないのに。
こういう時ばかり、私は外に居られない。落ち着いて私を抱きしめないといけないのに。
気味が悪かったのは、きっと私の為で、いつもだったらきっと心地が良く笑ってしまっていたんだろう