ヤニクラ

好きだ。

陳腐で、侮蔑が見え隠れして、けど煙を愛さずにはいられない人の言葉。私にはとても良い響きに聴こえる。

 

陳腐なものが好きだ。

同族嫌悪的に、拒否してしまっていることも認める。でも、結局すきだと思うから私はいつまで経っても厨二病なのだ。

 

タバコは、臭くて何がいいのかわからない。タバコを吸うことに浸っているように見える。けど、それが良い。気だるさと虚勢は美しい。

 

全員に物語がある。物語に興味はないが、物語を生きる人には興味がある。

 

何の仕事をしているの、何歳なの、出身はどこ

そんなどうでもいい物語を聞くよりあなたがどんな人か知りたい。何を愛しているのか教えてほしい。

 

私のそれまでと相容れなくても、あなたが愛しているものを知れば私はあなたを愛さずにはいられない。

 

三次元は面白い。

 

ね、敬愛する人、私は三次元も面白いと思うのです。

ジャッジがある世界も、これはまだ私が生きている世界なのです。必死にこの場の自分を探す人々は憐れでしょうか。可哀想ですか。私には美しく見えます。きっとそんな行間の哀愁を、敬愛する人も面白く感じているのではと期待してしまうのも私の貴方への愛なのでしょうね。

 

美味しいものを美味しいと感じられるこの世で、敬愛する人に出会えた幸せをまた思い出しました。私をここに導いてくれたことに心から感謝しています。

 

いつだって私は私に向けて言葉を編んでいる。そして、親愛なるあなたたちへ。

月下の恋人

浅田次郎の短編集を読んだ。

愛する人浅田次郎を薦められた。

 

私が、私の情緒は外に伝わるのだろうかとずっと考えていたことを、浅田次郎は文学に昇華しているような気がした。

私が選り好む情感がそこにあったような気がした。

少し気味悪いほど、私みたいだと思ったのだ。

 

共感がベースにある。

私の性格や性質は、私よりもあなたを優先してしまう。疲れていたり追われていたりすればする程それは見境がなく、私を消費するものへと変化させる。

 

客観的に見るより主観的に見る方が難しいのでは、と旧友が言っていた。そうだ。ずっと自分でいるのは本当に難しい。

大事にしたいのは私であり、私を通して見えるあなただ。

 

鬱々として靄がかかる心を、私が好きな情感で客観で描いてくれていた月下の恋人だった。

 

そもそも、月に惹かれたのだ。私は月の人だから。満月でも半月でも何でもいいしどうだっていい。私もあなたも月光に照らされている。

夜の光のなかは、普段よりも息がし易くないだろうか。月と自分だけではないだろうか。

 

俗っぽく、私は「女」っぽいのだろうと思う。赦さず、怒り、変えようとしている人は私みたいに中途半端にはならないのだろうな。

私はこの中途半端さを愛しているし、受け止めたい。

 

愛する人を、許したい。私として、私は許してあげてほしい。ただ、方法がわからない。私は何に怒っていて、傷ついていて、許せないのだろうか。私は何も変わっていないのに。

 

こういう時ばかり、私は外に居られない。落ち着いて私を抱きしめないといけないのに。

 

気味が悪かったのは、きっと私の為で、いつもだったらきっと心地が良く笑ってしまっていたんだろう

エンパス

共感力の強い人をエンパスというらしい、が、とても浅い知識だから当てにはしないでほしい。

 

呑み込むつもりも吸収するつもりもなく、いつの間にか私の中に流れ込んでくる感情や感覚がある

 

私のものではないものが私から溢れることがある。

 

泣きながら悔しいと吐き出した気持ちは私のものではなかった

先刻私に向けて言葉になった意思が、わたしの胸と頭の中をぐるぐるぐるぐるぐるぐる駆け回った

呼吸の方法を忘れてしまう

 

嫌な感じはしないのだ

全く、ではないけど、嫌なものじゃない。

 

共感することができるのは、私と波動を合わせられる人だけだからなのだと思う。

同じ波の中、振動の狭間で繋がっていた

 

繋がるのは私の役割なのだと思う。狭間にいるのも、私が繋がる人間だからなのだよ。そう感じるのだよ。

 

あらがわず、流れに身を任せたい、自然な波は常にそばにある。

全てなるようになっているのだって、目の前の現実は私が創り上げたものだからね。

 

直感は外れるよ、と言われた。私に。

当たるか外れるかの論点ではなくてだね、感じる事を怠らず、私と共につくるっていう話なのよ。

覚えておいてね。ついぞ忘れてしまっても、また目の前に出てこれるように

 

エネルギーの多い場所にいる

ここに私が創った世界がある

研ぎ澄ませて、のめり込んでも楽しむことを忘れないで

 

私は私として。そうだよ、でも流れ込ませる受け皿も私であるのよ、これも私なのよ

 

なかなかにこの世で生活するのは難儀だな。たまには月にかえってもいいかも、たまにね

感じるままに、流れるように

水、かはわからないけど、海でぷかぷかしているような身体の感覚で、浮かんで沈む。心地よく

 

こころよく

頑張れない日

も、ある。

 

心が動かないことに私も困っているのだ。

呼びかけても寄り添っても、動かない。

きっと届いてはいるのに。

 

まだまだ私は私と仲良くなれていないのかもな。様子を伺うだけで、その声を聞けていない。

聞きたいと思っていることだけでも、知っておいてほしいのだよ。

 

ああ、でも、たしかに。最近あまりに無視してしまったいたね。これは私が悪いな。

 

好きなもの、大切な場所、愛している人を蔑ろにしてしまっていた。他でもない、私の特別たちなのにね。

 

ごめんね。直ぐにちゃんと聞けるようにする。頑張るから、許して、また仲良くしよう。

 

これは私から、インナーチャイルドへの呼びかけだ。

 

ここ最近の私は、わかりやすく波動を乱していた。あまりにわかりやすく。

 

この一年でたくさんの生活の変化はあったけれど、どれも楽しく、徐々に確実に私らしくなっていった。

多少の無理をしても楽しさが勝り、元々身体の弱い私でもぎりぎりのところで体調を崩さずにすんでいた。

新しい挑戦やひらめき、それに挑める機会も目の前にあった。し、もちろん飛び込んだ。

 

ただ、最近は、変だった。

楽しいことに無理をしてもなんとかなる。が、本心で望んでいないことを無理した途端、ガタガタと崩れて行った。

目は結膜炎でコンタクトがつけれなくなり、扁桃腺が腫れて39度台の発熱、おまけに免疫が下がって婦人科系の病気まで発症した。

本当にもう、踏んだり蹴ったりというか、シンプルにしんどかった。

 

面白いほどに心の中が現実化する。

 

ああすっきりした。最近のもやもやがなくなった。申し訳なかったな、私は私を大切にすると決めていたのに。

でも、間違えた私を止めてくれてありがとう。

諦めずに声をかけてくれてありがとう。

きっと着実に私と仲良くなれている証拠だ。

 

はは。今回はあまりに日記だった。

私の日記を読んで面白いだろうか?

私にしかわからない抽象がたくさん、というかそれしかないくらいだ。

 

私は文字を書くことで心を整理してきた。姉が上京し部屋を譲り受けた時に見つけた彼女の日記を、こっそり読んだあの日からずっと。

 

大人になった私もそれは変わらない。変わらないし、変わったこともある。心に素直になった。心の求めるものがわかるようになった。

今回のように無視してしまうこともあるけれど。

 

私の一番大切なものは私だ。

私が求めるように、生きていく。

だから大丈夫。私の頑張れない日も、あなたのそれも、大丈夫なのだ。

ポカンポカン

仕事が終わって帰り支度をして外に出る。

今日は早番だったから、まだ今日が終わらないでいてくれた。

 

日が明るい。夕方ではなく昼間の空だ。

一面曇りだけど明るい。

 

駅に向かって歩く15分間。

立ちっぱなしだった足の気怠さとは裏腹に気持ちはあがる。

歩くのはけっこう好きだ。何がとは言えないが好きだ。

耳馴染みのいい音を聴きながら歩く時もあるし、車の音を聴きながら歩く時もある。ただただ歩いてるだけのことも。

 

思考や喧騒とは関連せずに脚はただ進む。

肉体と意識は別概念なんだなーなんて、実感もする。

 

目線のちょうど真ん中に白い線が入ってきた。

ぼーっとしてどこかに行ってた意識がここに返ってくる。

 

あれ、雨かな。でも他はまだ降ってないけどな。

 

なんて思っているうちに雨粒がすぐ横の川面を揺らし始めた。

 

ぼたぼたの雨だ。

すごく気持ちの良い雨。

 

粒の大きいぼたぼたの雨。ひとつぶひとつぶが身体に当たるのを感じる。滴るほどには降ってない。

 

最高のきぶん。傘は持ってるけどさしたくなかった。

 

こんな気持ちの良い雨は浴びた方がいい。絶対に気持ちいい。

 

しとしと降る雨は服が濡れてまとわりつく。ザーザーの雨もびしょ濡れになってしまう。

でも、雨の粒を感じる雨は気持ちがいい。

 

ぼたぼたの雨はなんて表現すればいいんだろう。

大粒の雨、ではなんとなく情景が足りない。

 

ふと川面を見る。雨粒が大きいから、ひとつひとつが立体の弧を、孤の波を作っている。

弧波、って言葉ないかな。ないな。弧波じゃちょっと、あの可愛らしさがないもんな。

そう、すごく可愛い。ぼたぼたの雨がつくった川面の模様がすごく可愛かった。

 

とても気分がいい。

 

頭に原裕子の歌声が浮かんだ。

 

『ポカン、ポカン、ポカン、と雨が降る』

 

あ、これだ。この川に、この気持ちのいい雨はポカンポカンと降っている。

身体に当たる雨はぼたぼただけど、川に沈んでいく粒にはポカンポカンがしっくりくる。

 

素敵だな。いい音。

レイニーナイトインブルーな場面とは全然違うけど、きっと降っている雨は一緒だ。

 

くすぐったいみたいに心が笑ってる。

そっとイヤホンを取り出して耳に付け、サザンを探した。

 

 

繋がる

視覚ではなく、感覚なのだ

 

 

目に見えない繋がりがある。

確かにある。

 

庭先でひとり咳をしても、其れは情景であって断交ではない

 

孤独は風情だ。絶海の孤独などない。

 

細くきらめく糸

オーガンジーの様な透明感と光沢のあるベール

その端を私は掴んでいる

 

数えたらキリがないほど途方もない数で、

数えたら数字の概念が崩壊してしまいそうになる。

 

誰も彼も繋がっていることを知っている。

 

たしかに存在する繋がりを認識する方法はあるのだろうか。

それは見えないと言うのに。

 

どうしたら孤独から抜け出せるのだろうか。

誰からも愛されていないはずなのに。

 

 

 

見えなくても知っているでしょう

 

 

 

聴こうとして。受けとろうとして。

本当は知っているでしょう。

 

繋がりの糸とベールは美しい

ため息が出るほど美しい

 

きっと見えているから、気付いて

 

糸とベールを掴むそれもすごく美しい

珈琲

海の見えるテラスはいつも騒がしい

そこにある全ての人に、それぞれの別の時間が流れている

「私達は全員違う世界に生きている」そんな風に考えているのは、今この場で私だけだろうか

 

夕方に近い空よりは鮮やかで夜の海よりは明るい色のシャツを着た老父のハンチング帽

彼を通り越した先のテトラには釣り糸を垂れる男、それを真似る二分の一程の背丈の小人

 

段々と日が落ちてくる

海に近づくたびに朱くなって、光が横に拡がる

 

夕方の雲は、日が水平線に消えてからの方が赤い

私には見えなくなった日も雲には見えているらしい

 

夏がきたらもっと騒がしくなるのだろうか

この場所の夏を知らない

 

ソフトクリームのセットドリンクはホットの方がいい

水出しコーヒーの氷少なめは野暮だ

看板では烏がねらっている

テーブル横のフェンスには雀があそぶ

 

胸のすぐ横にある焦りを嘲笑っている

「そんなものは捨ててしまえ」

 

私は思う、自分を大切にできるのは自分だけなのだ

誰でも知っているはずなのだ

 

思い出せと潮の香りがした